文昌市南陽鎮

       

 1942年11月1日、「南方」侵略の基地である海南島の「治安」を確保しようとして、日本軍は、「Y7作戦」をはじめた。 海南島警備府司令部が10月18日付けで出した「Y7作戦ニ関スル参謀長口述書」には、
  「Y7作戦ノ目的ハ……海南島北東部ニ蟠踞蠢動シツツアル敵共産軍ヲ捕捉殲滅スルヲ主眼トシ……
  速ニ本島内全域ニ亘ル徹底的治安ノ確立ヲ期スルニ在ル」、
  「共産部落ハ之ヲ清掃ス」、「敵匪ト通ゼシ者ハ厳重処分ス」
などと書かれていた。
 「Y7作戦」ははじめ、3か月で終了する予定だったが、抗日武装部隊が強固に抵抗し、1943年6月24日まで続けられた。
 「Y7作戦」当時、日本軍は、海南島北東部各地でも、抗日武装部隊の兵站をつぶそうとして、  「共産部落ハ之ヲ清掃ス」という暴虐行為をくりかえし、住民虐殺をおこなった。



老王村

 

老王村の虐殺現場(右写真も)
日本軍に破壊された家の煉瓦でつくった壁
 

托盤坑村

 托盤坑村(老王村の隣村)は、南陽遊撃隊長陳丕茂さん(1911〜1944年)が生まれ育った村。
 いまも、日本軍によって破壊された家が、当時のまま残されている。
 
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